作家インタビュー「田山健司|彫刻の眼でつくる器。笠間原土がひらく表現」
陶庫創業50周年特別企画展「素材と表現展」の開催に伴い、作家さんの特別インタビュー企画を開催。
作家の作陶に対する想いに迫ります。
田山健司|彫刻の眼でつくる器。笠間原土がひらく表現
古い土の気配、鉄分がつくる青、焼成の境目にあらわれる揺らぎ。
学生時代に彫刻を学び“形を見る眼”を養った田山健司さんは、笠間原土の性質を手がかりに、器づくりを中心としながら、同じ感覚で陶鳥の造形にも向き合っています。
実用と立体のあいだに明確な境界を置かず、素材の声に従いながらかたちを決める姿勢は、長く続けてきた作陶の根底にあります。
「素材展」では、笠間という土地がもたらす色と質感、そこに寄り添う形の必然を表現されました。
KENJI TAYAMA
田山健司
略歴
1964年:茨城県笠間市に生まれる
1988年:武蔵野美術大学彫刻科卒業
1991年:京都府立陶工高等技術専門学校卒業
1997年:artistcamp in kasama 参加
1998年:陶グループ「フロムゼロ」参加
2000年:3人展(新宿高島屋)
2001年:2人展(創芸工房/いわき市)
2003年:個展(陶庫 art space jonaizaka/益子町)、陶塊展(東海ステーションギャラリー)
2004年:アール エポック展(天心美術館)
2005年:個展(水戸京成百貨店)
2009年:個展(きらら館/笠間市)
2010年:個展(ギャラリー加古/水戸市)
2014年:以後、個展を「陶器ギャラリー陶庫」にて毎年開催
笠間原土と“金腐れ”鉄分がつくる色と強さ
笠間原土の花器
陶庫── 素材展では笠間の原土を使用して、器を作っていただきました。笠間の原土について教えていただけますか?
田山さん── 笠間の原土には“金腐れ(かなぐされ)”っていう鉄の塊がけっこう入っていて、黒い部分が混じります。いったん取り除きますが、あとで集めて戻すこともあります。鉄が強いぶん耐火度は弱めですが、1230℃くらい、SK8相当なら問題ありません。薪窯では温度が上がりきらない“燠がかぶる段”に置いて焼きます。
田山さん── 父も藁灰に鉄を入れて青みを出していました。中国北宋の均窯釉のイメージです。僕は藁灰ではなく籾殻灰を使いますが、見た目のニュアンスは近い。原土の鉄分で青が差します。
陶庫── 原土の確保は大変ではありませんか?
田山さん── 笠間焼協同組合が管理していて、工事のときに役所が融通してくれることがあります。大渕対岸の造成で剝土が出たときは、ダンプ何十台も持ってきてもらいました。ただ、そのときの土は、あまり状態がよくなかったです。
素材と表現|素材展「田山健司 カナグサレ土と糠白釉小皿」
素材の可能性
陶庫── 工房の敷地は広いですが、粘土は掘れるのでしょうか?
田山さん── ここは層が低くて、これ以上は掘れません。住居横の層もだいぶ掘りましたが、限界があります。粉引(泥彩・化粧土)のものは市販土ベースです。原土を入れると化粧が剝がれやすいので、生掛けのときは混じらないように注意します。素焼きをすれば安定します。
陶庫── でも田山さんの粉引きはチップ(欠け)しにくいですし、御本手(ごほんで|陶器の表面に自然にできる赤い斑点模様)も綺麗です。
田山さん── “土物”なので磁器よりは弱いです。でも釉で緩和しつつ、温度も上げすぎないようにしています。引っ張っても1230〜1250℃くらい。温度を上げると出したい色が消えてしまうんです。素材の可能性を引き出せると楽しいですよ。
笠間の土
窯について
陶庫── 普段の焼成はガスですか? 電気ですか?
田山さん── 電気と灯油の併用です。コロナの時期に導入した窯で、プログラムを細かく組めます。妻は上絵をやっていましたが、いまは休止中。でも上絵窯はあります。
陶庫── 工房は開放的で、煙も抜けていますね。
田山さん── 自分で立てた小屋なんです。締めすぎると煙たいので、適度に抜けるようにしています。薪窯は“煙”の問題で通報されることもありますから。
陶庫── 薪窯はどちらに?
田山さん── 少し離れた自宅にあります。年に2回焚いています。この工房は幹線から少し入った脇道ですが、近くの方が薪窯を焚くと、あとから移り住んだ方から通報されることもあって……本当に時代ですね。
陶庫── 続けていくには地域との折り合いも必要なのですね。
窯の煙突
陶鳥。残る形と、空間の構成
第12回 田山健司展「ヤマセミ」
田山さん── 素材は地元のものにこだわっていますが、表現は“何を作るべきか”で決めています。僕は陶鳥も作っています。陶で作れば、形が残る。そのリアリティをどう出すかをずっと考えてきました。手間はかかりますが、鳥が好きで、自然への畏敬があって、続けてこられました。
工房には鳥の羽
陶庫── 今年で12回目の展覧会となりました。楽しみにしているお客さんも増えましたね。
田山さん── 一度、“陶鳥だらけ”の展示をやってみたいんです。若冲の群鶏のように、空間にわっと広がる感じ。
尾の長い個体は分割して組み立てます。
角度、応力、釉流れ……持っている知識を総動員しています。
田山さん── 尾や首の“持たせ方”は器づくりと同じ理屈です。うまく決まると、作品全体の重心が整います。
壊れやすい部分もありますが、陶の時間のなかで長く存在してほしいという気持ちで作っています。
陶鳥の制作過程
彫刻を学んだ学生時代
陶庫── 作陶を始めたきっかけは家業ですか?
田山さん── 兄弟4人の次男で、誰も継がないから僕が、という流れでした。どうせ大学へ行くなら彫刻やファインアートで4年しっかり学んだほうがいい、とデッサンの先生に勧められて。
ブールデルの石膏原型も見せてもらい、“形”の世界にのめり込みました。
工芸・デザイン科だと技術が中心になりますが、彫刻は“見る眼と手”が育ちます。
器は使いやすさを大切にしつつ、立体は彫刻として考える。
今の基礎はそこにあります。
陶庫── 大学は京都でしたね。
田山さん── はい。京都では親の紹介で工芸会の先生のところにも伺い、アルバイトで入った茶陶の先生からの影響も大きかったです。
お茶の先生のご縁で「勉強しに来なさい」と言われて通いました。
京都では“焼き物=伝統工芸の現場に従事するもの”という視線で見られて、同じ陶芸でも捉え方が全然違うと実感しました。
土を見て、形を決める
笠間原土に含まれる鉄の変化や、薪窯のゆらぎ。
そうした自然の条件を受けとめながら、田山健司さんは地元の素材を起点に、器と陶鳥の両方に向き合っています。
学生時代の彫刻で鍛えた観察と手の感覚が、どちらの制作にも通っていて、素材の性質を読み取りながら最適な形を探す姿勢が感じ取れます。
地域環境に合わせて窯を選び、土の状態を見極め、鉄がもたらす色を丁寧に調整する。
そうした積み重ねの先に、日々の器と陶鳥の作品が生まれています。
偶然に揺れる部分と、意図して制御する部分。
その往復が、素材と表現のあいだを静かに結びつけてくれるのだと思います。
次の窯から、どんな景色が現れるのか。
また新しいかたちを見せてくれるはずです。
工房の轆轤